橘智恵子

石狩の都の外の
君が家
林檎の花の散りてやあらむ

「一握の砂」より
りんごの花.bmp
石川啄木が函館で代用教員時代にあこがれていた女性、橘智恵子を詠んだ歌です。


先日、多言語活動を一緒にしているTさんと話をしているうちに、彼女のご主人が橘智恵子と親戚関係にあることを知りました。

一握の砂.bmp
智恵子は啄木より三歳年下で、啄木と出会ったのは明治40年6月。
智恵子に対して啄木は、「真直に立てる鹿ノ子百合」をイメージしています。
不幸にも同年8月の函館大火によって啄木は職をを失い札幌へ行くことになり、出発の前日に智恵子を訪ねた啄木は、2時間ほど話をします。しかしその思いを伝えることなく、処女詩集「あこがれ」を贈って別れるのです。
その後も啄木は智恵子に憧れを抱き続け、「一握の砂」には智恵子を詠んだ歌が22首おさめられています。

で、これからが本題。
実はこの橘智恵子の嫁ぎ先の牧場の息子さんであるK君と私は、高校時代同級生だったのです。
その頃彼と私は文学への志があり、なぜかお互いに「文学で身をたてる」と信じていて、初期の大江健三郎などについてよく文学論など戦わせたり、読んだ本について語り合ったりしたものでした。
そんな彼が「うちのおばあさんは、啄木があこがれた人だった」と教えてくれ、「じゃあKくんはもしかすると啄木の孫だったのかもね」と、つじつまの合うような合わないような話をしたことを覚えています。

Tさんの婚家とこの牧場は親戚関係にあり、お正月には牛肉が届いたという話を彼女がしたことから、その牧場の息子さんは私の同級生だよ、と驚いたのでした。
また、智恵子の生家がセロリを作っていてセロリもTさんのおうちにはよく届いたという話で、そういえば、同級生のK君のお弁当によく肉とセロリを炒めたおかずが入ってたっけと、妙に納得したのでした。
K君も私も結局、文学で身をたてることはなく(当たり前じゃん)、今は同窓生を通じて消息を知る程度になっています。

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