西村公朝さんのこと

京都でOtoma。さんにお会いした時、Otoma。さんも公朝さんがお好きなことを知り、意気投合しました。

公朝さん_edited.jpg


公朝さんは昭和15年東京美術学校(現・東京芸術大学)を卒業後、美術院(財団法人美術院)へ入られ仏像の修理に携わられるようになります。
その後中国出征を経て帰国後、美術院へ戻り、三十三間堂千手観音千体仏修理に携わられました。
昭和27年得度され、昭和30年に天台宗愛宕(おたぎ)念仏寺住職となられ、平成15年12月に亡くなられるまで住職を勤められました。
愛宕念仏寺

仏像は語る.jpg
私は「仏像は語る」という本で、筆者である公朝さんのことを知りました。
この本には、国宝や重要文化財の仏様たちの修理にずっとかかわってこられた公朝さんを通して、仏様たちのお声を聞かせていただいているような、そんな仏像の解説の本でした。

もともと公朝さんは仏教とは関係なく美術を専攻されていたそうです。
学生時代、仏像とご縁ができ、仏像を修理するようになり、美術院国宝修理所に入ります。しかし修理所での昔ながらの徒弟制のつらい毎日に、召集令状が来た時に、帰ってきたら仏像修理はやめようと決心して戦場に向かわれました。
ところが中国で仏像の夢をご覧になったそうなのです。
「あんたら、私に直してほしいのか」「直してほしいのなら、私を無事に帰してほしい」
この夢のせいなのか、4年間戦地にいて、一度も敵兵を見たことはなく、弾も一発も撃たないですんだそうです。そして無事に戻ってくることができました。
帰ってきてからは三十三間堂の仏様を修理するようになり、そのご縁から得度され、愛宕念仏寺のご住職となられたそうです。

こんな公朝さんご自身のことを含め、これまでに出会われた仏様のエピソードや仏様の見方などを、面白い、面白いと読み進むうちに知らず知らず仏像がぐんと近くなり、これまでの見仏がいっそう楽しくなりました。
まだ公朝さんがご存命の時に愛宕念仏寺まで行ったこともあります。
ここにある「ふれ愛観音」は、手を触れてはいけないことの多い仏像の中で、この観音様は触ることのできる仏様です。
私はここで観音様の手を両手で触った時、なぜか「みんな、仲良し」ということばが思い浮かび、誰もが仲良くできたらいいな~とお願いしてしまいました。

Comments

No Responses to “西村公朝さんのこと”

  1. Otoma。 on 2月 2nd, 2006 11:05 PM

    むぎさん、公朝さんの観音さまは、ホントに愛らしいですよね(*^^*)
    現在はツルツルに黒光って、むぎさんのまたのお越しを待ってらっしゃいますよ~~

  2. むぎ on 2月 3rd, 2006 12:47 AM

    Otoma。さん
    今度京都へ行った時は、ご一緒に見仏したいです。
    愛宕念仏寺にもまた行って、観音様に触りたいです。その時には、私の頭の中にはどんなことばが浮かぶのでしょうか。
    仏心なんてほとんどない私ですが、仏様の前ではなぜか無心になれるのですね。